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真・ていて板〜

作品のご意見、ご感想、バグ報告、雑談、俺への個人的な質問など、お待ちしています。
但し、「カノジョ居ないんですか?」は不敬罪により銃殺。
荒らしは厳禁、煽りはちょっとくらいなら奨励(藁
とても全ての人にお返事できませんが、ちゃんと毎日楽しみに読ませてもらっております。
無視しちゃってるみたいで本当にごめんなさい。


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広告ホイホイ

涼宮ハルヒで学ぶ南京大虐殺(2) /うわぁ;;(3) /創作(2) /廬溝橋事件(1) /ハルノート(4) /祖国防衛(4) /大和民族で幸福(1) /こんにちは(1) /Great(4) /

[1141] 涼宮ハルヒで学ぶ南京大虐殺 OPさん  

涼宮ハルヒで学ぶ南京大虐殺
http://beauty.geocities.jp/nankingharuhi/index.html
2009/6/30(Tue) 15:20:18 [ これにレス ]

1141-[1142] >>[1141]OPさん OPさん  

もしかしてあなたは・・・騙されていませんか?
本当に真実を知っていますか?
マスコミが報道しない、本当の歴史

http://www.geocities.jp/yatagarassu/moudamattehairarenai1.htm
2009/7/3(Fri) 09:35:38 [ これにレス ]



[1072] うわぁ;; すずさん  

スレが流れててお返事いただいてるのを知りませんでした;
すみませんm(_ _)m
何回見てもムービーに惚れるのですがw
こういうムービーってなんていうのでしょうか?
よく戦争とか旅行のテレビとかで矢印が地図の上を走ったりしてますけど・・・
2009/2/3(Tue) 23:54:57 [ これにレス ]

1072-[1074] >>[1072]すずさん nanasiさん  

こういうネット上の小さいムービーは、フラッシュって
いいますよ。ていていた〜さんだけに限らず、歴史を
題材にしたフラッシュは他の方も作られていますから
みてはいかがですか。もっともていた〜さんほどの規模
のフラッシュを作られている方は、管見にいる限り、い
ませんね。もう少し、こじんまりとしている感じでしょ
うか。

↓ご参考までに

世界史フラッシュ集
http://zyakusui.web.infoseek.co.jp/sekaishi-flash.htm
2009/2/14(Sat) 22:57:55 [ これにレス ]

1072-[1076] >>1072-[1074]nanasiさん すずさん  

>nanasiさん
お返事ありがとう御座います
返事が遅れてすみません;

なるほど、フラッシュというのですね!
フラッシュ集を覗かせてもらいました
うーん・・・ていていた〜さん神ですねw
2009/3/12(Thu) 09:18:45 [ これにレス ]



[1135] 創作 そらさん  

これは孫たちに仮託した創作である。
  しかし中身はすべて事実にもとづいている。
  若い方達がこれを読んで、大東亜戦争や終
  戦についての真実を知り、日本や靖国神社
  の今後の進むべき道について正しい認識を
  もって頂ければ幸いである。
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/MAGO.shtml
2009/6/23(Tue) 12:22:41 [ これにレス ]

1135-[1140] >>[1135]そらさん そらさん  

孫・・・その南京で、日本兵は中国人を大虐殺したと教科書に書いてありますが、本当ですか。

私・・・本当なもんか。無論戦争だから中国兵は沢山殺したよ。日本兵も沢山戦死したけれどね。しかし兵隊でない一般市民を何十万も虐殺したなど有り得ないことだよ。当時南京には難民区という安全地帯ができていて、一般市民はそこに保護された。そして日本軍の憲兵が厳重に警備していた。

ただ困ったことには、便衣隊と言って、中国兵が軍服を脱ぎ捨てて一般市民の中に紛れ込み、時に応じて日本軍を狙撃するという連中が居たので―――これはもちろん国際法違反だがね―――こういう連中を一般市民の中から摘発するということには随分苦労したようだよ。中には便衣兵と間違われて殺された者も居たかも知れない。

また大勢の日本兵の中には、少しは軍紀を乱した者や、不届き者も居たかも知れない。しかし何もしない市民を何十万も虐殺するとか、通州事件で中国兵がやったような猟奇的な殺人など、有り得ないことだよ。日本人には出来ない話だ。
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/13.HTM
2009/6/30(Tue) 15:04:44 [ これにレス ]



[1136] 廬溝橋事件 真相解明委員会さん  

疑惑の銃弾(廬溝橋事件の黒幕)
日本軍・国民党軍双方に銃撃を加えたのは、一体、何者だったのか。

(1)日本軍謀略説
 廬溝橋事件は中国侵略をたくらむ日本陸軍がしくんだ謀略だという説がこれまで一般的な説明であった。これに対して、

○当時の日本軍の総兵力は、国内国外あわせて25万、これに対する中国軍総兵力は、220万で、いくら日本の軍人が中国軍を見くびっていたとしても、兵力の違いが大きすぎはしないか。
○日本軍は実弾を携行せずに演習をしていた。駐屯軍参謀長橋本群・陸軍中将は当時の状況を、「実弾を持たずに発砲されたため、応戦できず、非常に危険な状況におかれた」と証言している。「丸腰」で演習していた日本軍が、果たして本当に、「武装」している国民党軍と事を構えたいと思ったのか。
○「廬溝橋事件」後に日本は現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍との間に停戦協定を成立させている。このことは日本軍がそれ以上事を荒立てたくはないと考えていたからではないのか。
○その後、日本は膨大な地域を占領したが、領土要求はしていない。占領地は汪兆明政権の領土となり、そこでは治外法権も撤廃されている。
○現地で一旦は解決がはかられた廬溝橋事件の3週間後、さらなる大事件が起こった。中国軍が日本人民間人200名余りを虐殺した「通州事件」とも”通州大虐殺”とも呼ばれる事件である。
 当時、通州には「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子などの日本人居留民、軍人等200余人が住んでいた。日本の守備隊の主力が町を離れたところへ中国軍千数百名が襲撃した。中国軍は日本軍守備隊を全滅させ、住宅に火を放ち、女性には暴行を加えたうえで殺害、子供は両手・両足を切断、男性には首に縄を巻きつけ引き回した。当然、日本の世論は「支那を撃つべし!」と沸騰した。しかし、この時も日本軍は耐えて動かなかった。

などの状況証拠があり、この説は結構疑わしい。

2)共産党謀略説

 廬溝橋事件は日本軍と国民党軍を戦わせるための共産軍の謀略であるとの説である。国民党軍に対して劣勢だった共産軍は、「漁夫の利」を得るため、日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させようと考えた。そして、共産党の工作員が夜陰に乗じ、廬溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲したというのである。

○共産党軍は国民党軍の猛攻にさらされ壊滅の危機にあった。共産党が生き残るために蒋介石と日本を戦わせて漁夫の利を得ようと考えるのは不自然なことではない。
○「廬溝橋事件」発生の翌日7月8日、中国共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けている。すこしお膳立てがよすぎはしないか。
○共産軍の兵士向けのパンフレットには、「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」とはっきりと記述されていたという。
○1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言している。
○コミンテルン(国際共産党)の廬溝橋事件に関する指令には、1)あくまで局地解決を避け、日中の全面衝突に導かねばならない。2)右目的貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって中国の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい。とある。

 以上のような事実から、この説は説得力を持つ有力説である
2009/6/26(Fri) 08:48:51 [ これにレス ]



[1129] ハルノート 剣さん  

アメリカ政府の対日最後通牒ハルノート
 

ハルノートの原案は、2種類あった。コーデル・ハル国務長官が作成したハル暫定案と、ハリーホワイト財務省次官補が作成したホワイト・モーゲンソー案である。ルーズベルト大統領は最終的にホワイト案を採用、ハルをしてこれを日本政府に通達せしめ、結果として、昭和天皇の聖慮に沿い日米和平交渉をまとめようとした東条内閣は対米英開戦を決断した。

東京裁判判事中唯一の国際法の権威、インド代表判事ラダビノート・パル博士は、



「現代の歴史家でさえも次のように考えることができたのである。即ち『今次戦争について云えば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に送ったものと同じような通牒を受け取った場合、モナコやルクセンブルク大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起き上がったであろう』」



とハルノートの苛酷さを指摘して、日本を追い詰めたアメリカ政府を批判した。今日、パル博士に同調する識者は、日本の国内外に数多く存在する。

 



ハリーホワイトはソ連のスパイ



ハリーホワイトは、モーゲンソー財務長官の腹心として、ドイツの非軍事、工業化を掲げたドイツ戦後処理についての「モーゲンソー案」を作成し、戦後の国際通貨体制を定めたブレトンウッズ会議にアメリカ代表として出席、国際通貨基金(IMF)創設の中心的役割を果たした。だが1948年夏アメリカ下院非米活動委員会において、E・ベントレーとW・チェンバース(いずれも元米国共産党員)は、米国共産党(コミンテルン米国支部)やアメリカ非公然組織長のイクサ・アフメーロフ(ソ連人民委員部)、ボリス・バイコフ大佐(ソ連赤軍第四部)が、アメリカ政府内に構築したソ連諜報網の全容を告発し、ホワイトがソ連のスパイであることを指摘したのである。ホワイトは公聴会でソ連スパイ疑惑を否定したが、その直後の8月16日、ジギタリスを大量服用し不可解な死を遂げてしまった。

この為、戦後、「ハルノートは日米開戦を画策したソ連の謀略ではなかったか」という疑惑が囁かれ、防衛庁の戦史叢書にもこれに関する記述が散見されるが、ホワイト自身の正体を含め、この疑惑の真相は全く不明であった。

ところが最近公開された米陸軍電信傍受機関のソ連暗号解読資料「VENONA資料」によってホワイトが「ジュリスト」「リチャード」というコードネームを持つソ連のスパイであり、E・ベントレーとW・チェンバースの告発が真実であったことが判明したのである。

ハルノートはソ連の作為戦争謀略だったのだ。
2009/6/14(Sun) 10:26:32 [ これにレス ]

1129-[1130] 近衛文麿と左翼の敗戦革命 OPさん  

尾崎秀実は支那事変・日米開戦を煽動しわが国を敗戦へと導いた

近衛文麿と左翼の敗戦革命

昭和二十年二月十四日拝謁上奏

 敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。以下此の前提に申し述べ候。
 敗戦は我国体の一大瑕瑾たるべきも、英米の与論は今日迄の所国体の変更とまでは進み居らず(勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは測知し難し)。随って敗戦だけならば、国体上はさまで憂ふる要なしと存候。
 国体護持の立前より最も憂ふべきは、敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に候。
 つらつら思ふに、我国内外の情勢は、今や共産革命に向って急速度に進行しつつありと存候。


ゾルゲは、東京のドイツ大使館を拠点として、わが国政府の機密情報を収集してソ連に流しただけでなく、わが国を大陸における泥沼の戦いそして日米戦争に駆り立てる謀略を行なった〈民族の敵〉である。
ゾルゲは、『日ソ不可侵条約』を一方的に踏み躙って侵略戦争を行ない、多くの日本国民を殺戮し、シベリアで強制労働を課して死地に追いやり、且つ、南樺太全千島というわが国固有の領土を奪ったソ連から、一九六四年に『ソ連邦英雄』の称号を与えられた鬼畜の輩である。
ゾルゲの共犯・尾崎秀実は、近衛内閣の嘱託という立場を利用して、諜報活動だけでなく、近衛内閣の政策決定に影響を与え、支那事変・日米開戦を煽動し、わが国を敗戦へと導いた。
彼等の目的は、わが国の対ソ戦突入を回避せしめ、支那大陸での戦いそして南方への進出を煽動して、対米英戦争に突入せしめるにあった。
これは、レーニンの「社會主義の勝利にいたるまでの基本原則は資本主義国家間の矛盾対立を利用して、これら諸国を互いにかみ合わすことである。」(一九二〇年十一月、モスクワ共産党細胞書記長會議)という戦略、そして、一九三五年にモスクワで開催された『第七回コミンテルン大会』で決定された「米英と日独という資本主義国家同士を戦わせて、双方とも疲弊させ、ソ連への圧迫を排除して上で、米英を打倒してソ連の世界制覇を実現する」という戦略に基づくものであった。
2009/6/14(Sun) 19:32:33 [ これにレス ]

1129-[1132] 米国が日独と戦ったのは間違い OPさん  

■米国が日独と戦ったのは間違い■

 2000年の米大統領選に名乗りを上げている保守派の元
テレビ・コメンテーター、パット・ブキャナン氏(60)が、
最近刊行した米国の外交政策に関する著書「帝国でなく共和
国を」で、「第二次大戦で米国がドイツや日本と戦ったのは
戦略的に間違っていた」と主張したことが波紋を広げている。

・・・日本に関しては、当時の仏領インドシナに進駐した後、
米国のルーズベルト大統領が極めて厳しい経済制裁を発動し
たことが、日本にとって「のど元をつかまれた」形になり、
真珠湾攻撃を決意させたと指摘。開戦には米国の政策が大き
な役割を果たしたとしている。

 ブキャナン氏は、・・・日独敗北の結果、旧ソ連に対する
歯止めがなくなったことで、共産中国の誕生や、朝鮮、ベト
ナム両戦争での米軍の犠牲など「苦い結末を得た」ともして
いる。[1]

 第2次大戦で米国は「敵を間違えた」という主張は、今もくす
ぶっている。本誌96号「ルーズベルトの愚行」では、当時の政治
家や米軍幹部の証言に基づいて、ルーズベルト大統領がソ連に異
常な肩入れをして、ドイツとの参戦を果たすために、日本を開戦
に追いつめたプロセスを紹介した。

 その後、当時の公文書公開が進み、ルーズベルトの背後でソ連
スパイの暗躍があったことが明らかにされた。このニュースは、
わが国の現在の国際情報戦略にも重大な警告を投げかけている。

■2.真珠湾の7ヶ月前に日本爆撃計画■

 第一のニュースは、日本の真珠湾攻撃の7ヶ月も前に、米軍が
蒋介石軍に荷担して、日本爆撃を計画し、陸軍長官、海軍長官、
そしてルーズベルト大統領自身が承認のサインを与えていた書類
が明るみに出たことである。

 この作戦には350機のカーチス戦闘機、150機のロッキー
ド・ハドソン爆撃機を使用するとし、また大阪、神戸、京都、東
京、横浜の爆撃には木造住宅の多い日本民家に効果のある焼夷
(しょうい)弾を使用すべきであるなどとする内容もあった。後
の本土空襲の原形がすでに考えられていたのである。

 実際には、欧州戦線への爆撃機投入を優先したため、この計画
は実施が遅れて、その前に真珠湾攻撃となった。[2]

 しかし、この案が突飛なアイデアでない証拠として、すでに米
軍の最新鋭戦闘機とパイロット約100名、地上要員約200名
のフライング・タイガーと呼ばれる一隊が、義勇兵を装って、蒋
介石軍に参加していた事実がある。上記の爆撃計画は、この戦闘
機部隊に爆撃機を加えて、日本本土を直接攻撃しようという拡張
案なのである。[3]

 これは完全な中立義務違反で、こんなことが国際法上許される
なら、たとえば台湾が中国に攻撃された場合、自衛隊を台湾に義
勇兵として送れば、日本は中立と平和憲法を維持したまま、実質
的に参戦できることになる。

■3.日本爆撃計画推進者はソ連のスパイ■

 さらに、この空爆計画の推進者だったロークリン・カリー大統
領補佐官(当時)は、実はソ連と極秘情報のやりとりをしていた
ことが、当時の米暗号解読機関によって確認されていた。

 この文書はVENONA資料と呼ばれ、1940年代後半、ニュー
ヨークとワシントンにあるソ連代表部とモスクワ間の交信記録を
米特殊機関(戦後の国家安全保障局=NSA)が暗号解読したも
のだ。

 カリー補佐官はカナダ生まれの経済学者で、39年から45年まで
大統領補佐官(経済担当)をつとめた。41年初頭には対日戦略を
調整するため米国の中国支援担当特使に任命され、ルーズベルト
大統領と中国国民党の蒋介石主席(当時)の橋渡し役をしていた。

 48年にソ連スパイだったことを告白した政府職員、エリザベ
ス・ベントレーによる「カリー氏もスパイだ」という訴えをきっ
かけに、カリーは米下院・非アメリカ委員会の追及を受けた。
しかし最後まで容疑を否定し、50年に米国市民権を放棄し、南米
コロンビアに移住、93年に死亡している。

 ソ連がスパイを送り込んで、日本と蒋介石軍との戦いをアメリ
カに支援させていた動機は容易に理解できる。両者が戦えば、毛
沢東軍が漁夫の利を占めることになり、中国共産革命が近づく。

 さらに日米戦争ともなれば、ソ連にとっても日本からの軍事的
脅威はなくなり、ドイツと日本から挟撃されるという最悪の事態
を避けられる。まさに一石二鳥の見事な謀略なのである。[4]

■4.ソ連スパイが作成したハル・ノート原案■

 日本爆撃計画は不発に終わったが、実際に日米戦争の引き金を
引いたのが、41年11月26日、ハル国務長官が提示したハル・ノー
トであった。

 このノートで米政府は

・ 中国、仏領インドシナからの日本軍の全面撤退
・ 蒋介石国民党政府以外の政府の否認
・ 日独伊三国同盟の死文化

 などを要求した。これを最後通告と解釈した日本は、翌日、米
国との交渉の打ち切りを決定した。

 実際には、ハル国務長官は90日間の停戦を骨子とする緩やか
な妥協案を作成していたのだが、ルーズベルトは、財務次官ハリ
ー・デクスター・ホワイトが41年6月に作成していた対日強硬提
案の方を採用した。

 今回のVENONA資料では、このホワイトも、ソ連に米国政
府の極秘情報を通報したり、現金をもらっていた事を示しており、
カリー補佐官と同様、ソ連のスパイであることが判明した。

 さらに当時のソ連人民内務委員部の工作員だったパブロフが41
年5月にワシントンでホワイトと密会し、日本と米国が交戦する
よう仕向ける外交案の作成を要請していたことが、ソ連崩壊後の
同氏の回顧録で明らかになった。

 パブロフによると、ホワイトに与えた指示書では、日本軍の中
国および満洲からの完全撤退要求など日本側が到底受け入れられ
ない内容を含んでおり、ほぼハル・ノートと同じ内容になってい
る。ホワイトが試案を作成したのはその翌月で、パブロフの指示
を忠実に守ったことをうかがわせている。

 さらに、ホワイトは41年に成立したソ連と中国への米軍事支援
を合法化した武器貸与法を強く推進したことがわかっている。

 ホワイトは、カリー補佐官と同様、エリザベス・ベントレーら
による告発で米下院・非アメリカ活動委員会に召喚されたが、ス
パイ容疑を否定したあと、3日後に心臓まひで死亡している。ホ
ワイトの直接の部下だったコーら二人の財務省高官も同様のスパ
イ容疑をかけられたあと、中国に亡命し、そこで客死した。[5]

■5."恥ずべき"最後通牒■

 ハル・ノートによって、日本政府は米国には交渉意思がないと
最終判断を下し、12月7日(現地時間、日本では8日)にパー
ルハーバー攻撃に踏み切った。翌日、ルーズベルト大統領は下院
議会上で、次のように演説を始めた。

 昨日すなわち、1941年12月7日は、恥ずべき行いの日と
して永遠に残るでしょう。合衆国は、突如、しかも故意に攻
撃されたのであります。[6,p164]

 当時の共和党指導者ハミルトン・フィッシュ議員は、下院での
日本に対する宣戦布告決議の最初に演説し、「米国内で論争、対
立をすべき時は過ぎた。今や行動をとるべき時である」と述べ、
ルーズベルト大統領のもとに団結するよう訴えた。立場の違いを
乗り越え、祖国の危機に立ち上がろうという憂国の至情あふれた
演説であった。

 しかしハル・ノートの内容を知った後で、フィッシュ議員は次
のように憤る。

 今日私は、ルーズベルトが日本に対し、恥ずべき戦争最後
通牒を送り、日本の指導者に開戦を強要したということを知
っており、この演説を恥ずかしく思う。[6,p47]

 この最後通牒に言及するにあたっては、ルーズベルトがパ
ールハーバー攻撃を"恥ずべき行いの日"と呼んだことにちな
み、"恥ずべき"最後通牒と呼ぶことが適切かと思われる。
[6,p38]

■6.日本が米国世論に訴えていたら?■

 このフィッシュ議員に代表される議会勢力と米国世論を味方に
つけていれば、わが国は日米戦争を回避できたのではないか? 
たとえば、日本政府が、フライング・タイガーの中立義務違反を
米国世論に広く訴えていたら、どうなっていただろう。

 ルーズベルトは3選をかけた大統領選挙1週間前の1940年10
月30日、ボストンで次のような演説をしている。

 私は、母であり、あるいは父であるあなたがたに話すにあ
たって、いま一つの保証を与える。私は以前にもこれを述べ
たことがあるが、今後何度でも繰り返し言うつもりである。
「あなたがたの子供たちは、海外のいかなる戦争に送り込ま
れることもない」[6,p82]

 39年の9月に行われた世論調査では、米国民の97%が欧州戦争
参戦に反対していた。ルーズベルトは決して参戦しないという公
約を武器に当選していたのである。

 これに対して、米国民の知らないうちに、フライング・タイガ
ーとしてすでに300名もの兵員を中国戦線に送りこんでいる事
実が暴露されたら、選挙公約違反であることは誰の目にも明らか
である。このような卑劣なうそほど、米国民を激高させるものは
ない。

 同様にハル・ノートを「恥ずべき最後通牒」として、全世界に
公開していたらどうなっていたか。戦争に反対するフィッシュ議
員の非介入主義は、共和党議員の90%、民主党議員の半数の支
持を受けていた。その議会に内緒で戦争を挑発しようとするハ
ル・ノートのアプローチは、米議会のみが宣戦布告の決定をなし
うるという米国憲法を大統領が自ら踏みにじったものであるとフ
ィッシュ議員は主張している。

 真珠湾前にこの点があきらかにされれば、大統領は議会と国民
の信任を失い、「米国は簡単に日本との間で和平条約を締結でき
たであろう」というフィッシュ議員の主張が勢いを得て、米国政
府の方針転換につながっていた可能性が高い。
 
■7.欧米資本を味方にひきつけた高橋是清■

 アメリカの中にも、フィッシュ議員のような信頼し得る陣営が
あり、また米国民の世論も、説き方によっては味方につけること
ができた。戦わずして、スターリンとルーズベルトの陰謀を粉砕
し、日米戦争を避けることができたかも知れない。

 しかし、現実には日本政府はそのような対米世論工作は検討す
らしなかったようだ。米国が一丸となって戦争をしかけていると
判断し、真っ正直に一か八かの全面戦争に突入した。我々日本人
は伝統的にこの種の世論工作に弱いのだろうか。

 しかし見事な例外もある。たとえば、日露戦争中に欧米で公債
による戦費調達を担当した高橋是清である。ロシアの黄禍論(黄
色人種の白色人種侵略)に対して、日露戦争は日本の生存をかけ
た自衛戦争であることを主張し、さらに、日本政府は過去、元利
支払いを一度たりとも遅らせたはないとして、信用を訴えた。

 こうした高橋の主張に納得したユダヤ資本は、同胞を迫害する
ロシア政府を倒すためにも、日本を支援しようと、巨額の公債を
引き受けてくれた。戦争前の日銀の正貨保有額が1億17百万で
あったのに対し、合計13億円にのぼる戦費調達に成功したので
ある。日露戦争は、まさにユダヤ資本、欧米資本を味方につけて
初めて戦うことができたのである。それを引き出したのは高橋是
清の欧米世論への働きかけであった。[7]

 明治時代にはこのように日本の主張を堂々と国際世論に訴えう
る人材が少なくなかった。しかし、その後、昭和に入り、そのよ
うなセンスは次第に失われ、戦後はさらにひどくなったように見
える。慰安婦問題(JOG106,107)やアイリス・チャンの南京事件
告発(JOG60)に見られるような国際的謀略に、一方的に攻撃され
ている。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と
生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)という他者依
存の姿勢では、国際世論工作の必要性すら理解できないであろう。
ことは一国の独立心、自立心の問題であって、語学の問題ではな
いのである。
2009/6/19(Fri) 19:35:58 [ これにレス ]

1129-[1133] 大東亜戦争 真相解明委員会さん  

ルーズベルトの戦略構想
 (1)危殆に瀕している欧州の連合軍救済の為、米軍の動員は必須になってきたが、その為には国民の参戦気運を醸成しなければならない。国民の目を戦争に向けるのに、何かの切っ掛けが欲しい。
 (2)長期の戦争で疲れている日本を叩く好機である。日本にはアメリカと戦う力は残っていないだろう。仮令戦争になっても、屈伏させるのに大きな犠牲を必要としない。為し得れば日本に先に手を出させて、これを米軍参戦の切っ掛けに出来れば望むところである。ところが日本を屈伏させるのに、あれ程大きな犠牲を払わされたことは、彼の大きな誤算であった。
スターリンの戦略構想
 (1)アジア赤化の障害は日本と満州国であり、蒋介石もまた敵の一人である。蒋介石と日本という敵同士を戦わせて共倒れにすることが、この障害を排除し、中共を支援する有効な戦略である。
 (2)ドイツの猛攻撃を受けている現在、日本との二正面作戦は避けなければならない。この構想が日ソ不可侵条約となった。この条約はソ連に有効に作用したが、日本は逆用されて手痛い目に遭わされたことはご存じのとおりである。

 日本が蒋介石と戦い国力を消耗することは、米ソ共通の利益であり、両国とも表になり裏になって国民政府を支援した。何も蒋介石が勝たなくてもいい、抗戦さえ続けてくれれば、それだけ日本の国力が減耗する。血を流すのは有色人種の支那人と日本人ばかりで、米英ソのどの国も痛くも痒くもない。
 支那事変を泥沼に追い込んでいるのは、決して近衛や東條でもなければ蒋介石でもなく、両者が握手しそうになると、列強の間から援蒋の手が伸びたり、原因不明の不思議な事件が突発し、戦線が思わぬ方向に拡大してゆく、前者は大陸に多くの権益を持つアメリカとイギリスであり、後者は世界赤化を目指すソ連であることは判っていたがそれがそのまゝ米・英・ソを相手に戦わなければ解決の道がない。
 しかしアメリカの目的は大陸に於ける権益の確保であり、ソ連は赤化であって、その思惑には大きな隔たりがある。日本と満州国という防波堤が潰れたら、それこそ赤化の波はまさに怒濤の如く大陸に襲いかかる。ルーズベルトはそれを考えない程の馬鹿ではなかったが、極東の番犬と思っていた有色の日本がアメリカに逆らうことは、白色文明支配の世界秩序を乱すものであって、白人のプライドが許さず、日本憎しの小乗的正義感が先に立っていた。また日本を潰すことがソ連や中共を利する結果になることが判っていても、それを考える余裕のない程欧州の戦局が差し迫っていたからである。結果的にスターリンの思い通りになったことは、戦後の歴史が物語っており、アメリカも日本も、そして蒋介石も多大の犠牲を払ってソ連の赤化政策を支援し、毛沢東の尻押しをしていることになった。

http://www1.toptower.ne.jp/~katumata/sub46.html#大東亜戦争の原因と経過
2009/6/21(Sun) 11:07:35 [ これにレス ]



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